”運命”は、訪れるものではなくて、積み上げるもの。
ひとたび玄関を出てしまえば僕は
毎日、何千という人とすれ違い
そのうち数十人と会話をし
ときには
そのうちの数人と知り合うことができます。
自分と、まだ出会わざる誰かとのあいだにできる真新しい”点”は
無数に転がっています。
それは、訪れたもの。偶然です。
神様を信じるひとに言わせるなら、与えられたもの。
いや、違うんです。
とても難しくて、ひどくしんどいのは、その”点”を”線”にすること。
メンバーに出会ったことを、僕は”運命”だとは思っていません。
メンバーに出会って8年間続けてきたことを、僕は”運命”だと思っています。
3人は、3人であることを、8年間ずっと選び続けてきたんです。
いくらでも離れるチャンスはあったはずです。
でも、今も3人でいるのは
それを3人が、まぎれもなく自分たちで、選んできたからです。
僕は、人とのつながりは、そういうものだと思っています。
置かれている環境や、ときにはまさしく運によって、選び易さ、選びにくさの違いは、たしかに多くあるでしょう。
でも、それもすべてひっくるめて、人間は知らず知らずのうちに、”選ぶ”んだと思うんです。
その選択の連続が
人と人との強いつながり
長く凛々しい”線”
つまり”運命”を生むんだと思うんです。
だから、”運命”は訪れるものではなくて、積み上げるもの。
それは、待つものではなくて、創るもの。
それは、無くすものではなくて、壊すもの。
ちゃんと創って、そして壊さないように。
僕は、自分で、選んでいきます。